会津八一書簡 大鹿卓宛
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1 - 法量
241×172 - 作成年代
7月24日 - 作成者
会津八一 - 発行者
- 使用者(受給者)
大鹿卓 - 材質・形状
書簡、紙 - 伝来
昭和20(1945)年4月14日、米軍機の空襲により目白文化村の自宅(現・新宿区中落合三丁目)を焼け出された会津八一は、郷里の新潟に戻り中條町西條の観音堂(私物の無住の仏堂)に仮住いする。悲惨な生活の中で、7月に養女きい子を肺炎で亡くす。きい子死去の知らせと追悼会を行うために、門下の大鹿卓に出した手紙。宛名書きは墨で、手紙はペン書き。大鹿卓(1898~1959)は小説家、詩人金子光晴の実弟。
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