戦前の新宿 ―1834(天保5年)~1940(昭和15年)―
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1月14日(土)から4月9日(日)まで新宿歴史博物館で開催する令和4年度 所蔵資料展「戦前の新宿 ―1834(天保5年)~1940(昭和15年)―」の紹介動画です。江戸期特有の江戸切絵図や『江戸名所図会』。また、明治期に製作された実測図や様々な行事で撮影された写真をもとに、江戸後期(天保5年)から昭和15年までの新宿の姿に迫ります。
第1章 江戸期の新宿 遊興と場末のまち
江戸期特有の分割絵図「江戸切絵図」には江戸城を中心とした市中の様子が描写されており、新宿区域は、武家地や寺社地、町地の他、江戸の町と近接する農村・宿場として描かれています。
また、風光明媚な新宿の名所は『江戸名所図会』や浮世絵の題材として生き生きと描写されています。
ここでは、「江戸切絵図」、『江戸名所図会』や浮世絵などをとおして、江戸期の新宿を紹介します。
第2章 明治期の新宿 結節点と老舗のまち
明治初期の交通は馬や人力車、荷車が主流でしたが、明治中期になると民間による鉄道が敷設され駅舎が新設されます。
明治18年(1885)に開業した新宿駅は、交通網の発達に伴い人や物流の中継地となり、交通の利便性や将来性を見込んで公共施設や商・工業施設が立ち並ぶなど、新宿駅を中心とした発展が始まりました。
ここでは、「実測地図」や「風俗画報」、写真・資料などをとおして、明治期の新宿を紹介します。
第3章 大正期の新宿 拡大するまち
明治末頃に民間の路面電車は市営化され、路線を拡大。また、大正初期から新興した民間鉄道が都心と郊外を繋ぎました。
四谷区では新宿通りを中心に商店が立ち並び、宿場の名残を留めつつも次第に新宿駅周辺に賑わいが移っていきました。
一方牛込区は、神楽坂を中心に賑わいをみせ、印刷工場の増加に伴い活況を呈しました。
大正12年(1923)の関東大震災を契機に、下町から西郊の新宿へと移住した人々も加わり、新たな新宿の街並みが形成されました。
ここでは、「実測地図」や写真・資料などをとおして、大正期の新宿を紹介します。
第4章 昭和期戦前の新宿(前編)戦争とペン部隊
昭和期前半の日本の社会情勢は不安定な時期でした。
昭和13年(1938)、国家総動員法と総力戦体制の確立は文化・芸術も戦争に巻き込み、近衛内閣の内閣情報部は、作家の従軍を要請しました。
文芸家協会は22名の従軍「ペン部隊」を組織し、林芙美子も選出されました。
ここでは中国漢口攻略に従軍した林芙美子の残した手帳や写真、出版物をもとに林芙美子が体感した従軍を振り返ります。
また、当時を伝える新聞記事などの資料から戦争へ向かう世相を紹介します。
第5章 昭和期戦前の新宿(後編)賑わうまち
昭和期戦前の新宿のまちは、関東大震災からの復興が終わり戦争へと歩みを進めるなか、新たな時代を迎えていました。
とりわけ新宿駅から新宿三丁目の新宿通りを中心に、百貨店の進出や、映画館・劇場の新設など賑わいをみせていました。