新宿の画家たち ―出会う、暮らす、描く。―
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新宿には多くの画家が住み、特に落合の地域には洋画家の佐伯祐三・米子夫妻や中村彝(つね)、曾宮一念(そみやいちねん)らが住居・アトリエを構えました。
人や風景と出会い、日々を過ごし、絵を描く。その営みが新宿にあったのです。
本展は、作品やデッサンに加え、ゆかりの品々、画家の書いた手紙や書籍などを見ていきます。
暮らしや交流関係なども含め、作品だけからでは見えにくい画家自身の姿を探っていきます。
序章 落合 ―画家が暮らしたまち―
新宿の中でも、特に多くの画家たちが暮らした場所が落合です。画家たちを惹きつけた落合とはどのような場所だったのでしょう。
江戸後期に刊行された「江戸名所図会」には、風光明媚な場所として落合の情景が紹介されています。その後、明治時代に入ると川沿いに工場が建てられ、景観が変化していきます。大正11年(1922)に宅地分譲地である目白文化村の開発が始まり、大正15年(1926)の「下落合事情明細図」には、多くの住宅や工場が記載されています。その一方で田園風景も残り、落合の地には絵になる景色が多く存在していました。
第1章 新宿の画家たち
新宿に住居・アトリエを構えた画家たちの作品には、その身近な生活空間の周辺を題材としているものが多くみられます。ここでは、落合をはじめとする新宿の各地を描いた作品を中心とし、人物や静物を描いた作品も展示しています。画家たちの目が捉えた当時の景色をご覧ください。あわせて、生活や制作活動で使用していた道具もご紹介します。そのうちの一つ、佐伯祐三が曾宮一念に贈ったイーゼルは二人の親交の証でもあります。また、堀潔の絵筆などの画材道具には、画家の創作の痕跡が残されています。物が語る画家たちの交流や暮らしぶりにもご注目ください。
第2章 画家たちの言葉
画家の語る言葉からは、作品から受ける印象とは異なった一面を感じるかもしれません。ここでは、第1章で登場した画家たちの著書や手紙などをご紹介します。『藝術の無限感』で、中村彝は画業の信念や、病に蝕まれる苦悩を強い調子で記しています。曾宮一念の著書や手紙には、他の画家の名が頻繁に登場し、落合の画家たちを繋ぐ存在であったことがうかがえます。また、落合にアトリエを構えていた画家・松本竣介は妻と共に月刊誌『雑記帳』の編集・刊行を行いました。工芸や建築など、幅広い分野の執筆者がおり、本展に登場する画家では曾宮一念や里見勝蔵、佐伯米子、藤田嗣治も寄稿していました。自他が語る言葉からは、新宿の画家の暮らしぶりや関係性を知ることができます。