大正の末から昭和のはじめにかけて、山手線の外側にサラリーマンの住宅が建ち並ぶようになりました。生活の洋風化と合理化を進める生活改善運動が影響して、宅地開発されたところには洋風住宅がたくさん建てられました。こうした住宅にあこがれた人々が、せめて一部屋だけでもと、小さな和風住宅に洋風の応接間をつけたのが「文化住宅」です。文化住宅の応接間は、玄関のすぐ横の外からよく見える位置につくられました。
「チンチン!桜田門」
そういえば、武蔵野館は今度どんな映画を上映するんだっけ。見に行くかな。