神楽坂は江戸時代からあった名称です。江戸時代は、段々のある急な坂でしたが、明治時代のはじめに坂土を掘り下げて現在のような坂になりました。神楽坂が最も栄えたのは、明治時代以後のことで、甲武鉄道(現在の中央線)の牛込停車場ができたのをきっかけに、坂の途中にある善国寺毘沙門天の縁日が大変にぎわうようになりました。そのため、昭和のはじめころまでは、「山の手銀座」と呼ばれたのです。
「チンチン!三宅坂」
今日は給料も出たことだし、今度の休みは妻をデパートにでも連れてくかな。