中村彝 プロフィール


中村彝 (1887~1924)
現在の茨城県水戸市金町に、旧水戸藩士中村順正と妻よしの三男として生まれました。
まもなく父を亡くし11歳のとき母を亡くすと、東京市牛込区原町に住む陸軍軍人の長兄を頼って上京しました。牛込や大久保に住み、愛日尋常高等小学校(現 愛日小学校)を卒業、早稲田中学校に入学しますが、長兄•次兄と同じく陸軍軍人を目指し、名古屋陸軍地方幼年学校に進みます。しかし、17歳のとき肺結核となり軍人の道を断念、療養のため訪れた北条湊(千葉県館山市)で風景を写生し、この頃から洋画家を志します。白馬会や太平洋画会の研究所で学び、明治42年(1909)に文展初入選。翌年には«海辺の村(白壁の家)»で三等賞を受賞します。
明治44年(1911)新宿中村屋の相馬愛蔵•黒光夫妻の厚意で中村屋裏のアトリエに転居しますが、絵のモデルとなった相馬家の長女俊子との恋愛を反対されて相馬家との確執が深まり、大正5年(1916)8月、下落合にアトリエを新築しました。このアトリエでは、画友鶴田吾郎と競作した«エロシヱンコ氏の像»をはじめ、悪化する肺結核と闘いながら制作を続けました。大正13年(1924)12月24日肺結核による喀血のため37歳の若さで亡くなりました。